――最初に音楽に触れたのはいつだったんですか?
佐藤:小学6年生くらいまで演歌しか聴いたことがなかったんですよ。そんな中、小学4年生のときにQUEENの「KILLER
QUEEN」(74年のシングル、チャート2位)っていう曲を初めて聴いたんです。普段聴いている歌謡曲や演歌とは全然違っていて、すごくカッコいいなっていう意識をもった最初の曲だったと思います。
――それはラジオで流れていたのを聴いたんですか?
佐藤:僕の家の近所に住んでいるお兄ちゃんがステレオでものすごい音で聴いてたんですよ。毎日それを聴いているうちにすごく好きになって、カセットにダビングしてもらいました。
英語とかまだ全然わからなかったから聞こえるままにカタカタで歌詞を書いて、それで歌ってましたね。
――そのころから歌は好きだったんですね。
佐藤:うん、歌はものすごく好きでしたね。でも人前で歌うという意識は高校3年生までなかったんです。中学校1年のときにベースを始めてからはずっとベースだったんですよ。歌は好きで家でしょっちゅう歌っていたんですけど、人前で歌う意識はまだなかったんです。 |
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――ベースを始めたのはポール・マッカートニーの影響から?
佐藤:中学1年生でBEATLESに出会って、一気に洋楽やポップスを聴き始めたときは確かにBEATLESが好きだったんですが、そのときはベーシスト=ポール・マッカートニーっていう認識はなかったんです。
ベースっていうものに目を向けたのは中学1年生のときに改めてQUEENを聴いたのがキッカケだったんですよね。
――ベーシストとして憧れたのもQUEENだったんですね(笑)。
佐藤:えぇ。QUEENのジョン・ディーコン。QUEENの『オペラ座の夜』っていうアルバムを聴いてハマって。そうしたら小学4年生で聴いた「KILLER
QUEEN」=『オペラ座の夜』のQUEENだって後で知るんです。あのころのブリティッシュ・ロックの特徴がベーシストだけはひたすら地味にプレイして、ほかのパートがガーッといくっていうスタイルだったから(笑)。
それがすごくカッコいいと思ったんで、ベースを始めたんです。
――その当時、QUEEN以外にどういった音楽が流行っていたんですか?
佐藤:やっぱりLED ZEPPELIN、DEEP PURPLE、です。あとはBAD COMPANY、FREE、AEROSMITH、BOSTON、KANSAS、Styx。アメリカン・プログレ・ハード・ロックと、いわゆるブリティッシュ・ハード・ロック。この辺が僕らの間では非常に流行っていたと思いますね。
あとは日本のフュージョンも流行っていました。
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――なるほど。竹善さんのルーツはQUEENなんですね。
佐藤:QUEENはSING LIKE TALKINGの3人がみんな大フリークで、もうオタクに近いです(笑)。カルトクイズとかやっちゃってるくらい(笑)。 |
――(笑)。となると、曲はほぼコピーしたんですか?
佐藤:QUEENのコピーはそんなにたくさんはやらなかったんですけど、アマチュア・バンドのコンテストにQUEENの曲で出たことがありますね。「Bohemian
Rhapsody」(75年発売のシングル、チャート9週連続1位)を演ったんですけど、途中のオペラ部分をアレンジして「KILLER QUEEN」を挟みこんだんです。『EAST
WEST』(関東のアマチュアコンテスト)とか『8.8 Rock day』(関西のアマチュアコンテスト)の東北版が『ROCK JAM』なんですけど、それに出ました。
でもQUEENをバンドで演ったのはそのくらいですね。どちらかというと聴く方ばかりでしたから。
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