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※1.デビュー・ライヴ
ジェフ・ポーカロ(Dr)とネイザン・イースト(Ba)を迎えての渋谷クアトロで88年12/9.10と行う。
TOTOのドラマー、ジェフ・ポーカロはサポート・ドラマーとして、70年代中期はSTEELY DANやボズ・スキャッグズをサポートし、80年代にはありとあらゆるレコーディングに呼ばれ、セッション・ドラマーの第一人者となった。しかし、92年8月4日なくなってしまう。ネイザン・イーストはエリック・クラプトン、エルトン・ジョン、マイケル・ジャクソン、ベイビーフェイス、ホイットニ・ヒューストン、フィル・コリンズなど数多くのサポートを手がける。現在、FOURPLAYのメンバー。
※2.ブルース・スウェーデン
  (Bruce Swedien)

ジョージ・ベンソンやマイケル・ジャクソン『THRILLER』のアルバムではお馴染みのエンジニア。70年代からはプロデューサー、クインシー・ジョーンズの右腕としてマイケルジャクソンのビッグヒットを生んだ。代表作:マイケル・ジャクソン「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」「デンジャラス」、ジョージ・ベンソン「ギブ・ミー・ザ・ナイト」、クインシー・ジョーンズ「愛のコリーダ」
※3.ミック・グゾウスキー
  (Mick Guzauski)

マドンナ、ホイットー・ヒューストン、マライヤ・キャリー、ボーイズ・II・メン、マイケル・ボルトン、Earth, Wind & Fire、エリック・クラプトンなどを手掛けたエンジニア。代表作はエリック・クラプトン「Change the World」マライヤ・キャリー「Hero」ホイットニー・ヒューストン「I Have Nothing」ケニーG『The Moment』、ベビーフェイス『The Day』、セリーヌ・ディオン「Because You Loved Me」
SING LIKE TALKING
『TRY AND TRY AGAIN』
SING LIKE TALKING
『III』
SING LIKE TALKING
『METABOLISM』
※4.ビル・ペイン(Bill Payne)
LITTLE FEATのキーボーディストで、DOOBIE BROTHERSの『THE CAPTAIN AND ME』などにもゲスト参加していた。解散後は、スティーヴィー・ニックス、リンダ・ロンシュタット、カーラ・ボノフ、ボニー・レイット、ジェイムス・テイラーなどをサポート。
※5.リー・スクラー(Lee Sklar)
ジェイムス・テイラーの名盤『MUD SLIDE SLIM』(71年)などに参加したセッション・ベーシスト。リンダ・ロンシュタット、フィル・コリンズから、日本では松任谷由実、中島みゆきなどにも参加。
SING LIKE TALKING
『togetherness』
※6.沼澤尚
86年にCHAKA KHANのツアー、87年にはBOBBY WOMACKのツアーに参加、彼の初来日公演に同行した。92〜95年L.A.ALL-STARS(AL McKAY,VERDINE WHITE,THE EMOTIONS他)に、94年にはNED DOHENYの日本ツアーに参加。CAT GRAY,KARL PERAZZOと"13CATS"を結成、96年までに4枚のアルバムを発表、96年、99年には日本ツアーも行なう。日本国内では、88年からチキンシャックに参加したのをきっかけに、高中正義、井上陽水、シング・ライク・トーキング、吉田美奈子、塩谷哲(SALT BAND)、角松敏生、、シアターブルック、宮沢和史(AFROSICK)、尾崎亜美、佐藤竹善、スガシカオ、山崎まさよし、椎名林檎、大黒摩季、アナム&マキ、つじあやの、ラブハンドルズ、鈴木雅之、石井竜也、オリジナルラブ、槇原敬之などのレコーディング、ツアー等に次々と参加。
※6.佐藤強一
Suzy cream Cheeseのドラマー。サポート・ドラマーとして、マルチマックス、清水博之、谷口宗一、神内大蔵、東野純直、本田修司、KATSUMI、田中一郎などに参加。
■「SING LIKE TALKING」編 Page1/2
――SING LIKE TALKINGのデビュー・ライヴ※1はすごいサポート・メンバーでしたけど、この経緯は?
佐藤:「日本のレコードのミックスが何でこんなにアメリカやイギリスと違うんだろう?」って思っていたんですよね。それで1stアルバムを作るときにそれを知りたくて、アメリカのエンジニアとやろうと思ったんですよ。そのときにブルース・スゥエーデン※2っていう、当時のマイケル・ジャクソンのプロデューサーであるクインシー・ジョーンズと一緒にやっていたエンジニアに頼んで、OKもらって。ところが、アメリカに行ったら、ブルースがマイケル・ジャクソンの「smooth criminal」のリミックスをやらなければならなくなって、一緒にできなくなってしまったんです。
その代わりに素晴らしい人を紹介してくれるって言って、ミック・グゾウスキー※3っていう、Mr.MISTERで当時グラミーをとったエンジニアを紹介してくれたんですよね。そのときにミックとブルースから「お前ら、ライヴはやらないのか?」って言われたんですけど、僕もちょうどライヴをやりたいと思っていたころで。彼らも僕らの1stアルバムを気に入ってくれて、「こんな感じの曲だったら、L.A.のミュージシャンとやったらもっともっと伝わると思う」って言ってくれたんです。
それで「ジェフ・ポーカロ(Dr)とかジョン・ロビンソン(Dr)、ネイザン・イースト(Ba)やエイブラハム・ラボリエム(Ba)とかどうだ!」って(笑)。
――そんなすごい人たち(笑)。
佐藤:「いや〜、一緒にやれたらすごいですよ!」っていう感じで(笑)、僕、TOTO大好きでしたから、ジェフ・ポーカロとライヴができたら嬉しいですけど、当時ジェフのライヴ・サポートと言えばSTEELY DANとボズ・スキャッグズだけでしょ? スタジオ作品には他にもたくさん参加しているけど。だから絶対無理だと思ったんですよ。そうしたらジェフから直接手紙が来て、「音を聴きました。ぜひライヴをやりたいから、ベーシストにネイザン・イーストを連れて行ってもいいか?」って返事をもらったんですよ。そんなメンバーでやれるなんてすごいことですけど、僕らはバンド演奏の経験もないからそれでいいのかな、と思ったんです。でもチャンスだし、リハーサルもたった3日間しかやらなかったんですけど実現しましたね。向こうは外人だから金で来るのもあったり、曲も適当に覚えてくるんだろうなと思っていたら、完璧に曲を覚えているんですよ(笑)。もうバッチリだったんですよね。
――すごいですよね、そういう経緯があったんですね。実際、SING LIKE TALKING結成のときにAORというコンセプトはあったんですか?
佐藤:ありましたね。AORが僕ら大好きだったし、しかも一番やりたいと思っていた音だったんですよ。僕らがAORに持っている感覚は、ロックからソウル、ジャズ、クラシックなど、どんなものにもこだわらないことに、いかにこだわれるか。浅く広くじゃなくて深く広く。
元をたどるとBEATLESとかも全部そうなんですけど、その感覚で僕らは小さいころからジャンルを楽しんできて、大学時代タイムリーにヒットしたのがAORだったと思うんですね。だから未だにAORをやっている感じですよ。
――そうなんですか。
佐藤:ただ、基本的な考えがそこなので、ヘヴィ・メタルからハード・ロック、パンク、ヒップホップ、ハード・コアっていうのも当時のケニー・ロギンスとかアル・ジャロウとかを聴いていた感覚とまったく同じなの。
――SING LIKE TALKINGも音楽的な部分で進化してきたと思います。1stの『TRY AND TRY AGAIN』(88年)から3rdの『III』(90年)まで。4th『0[l∧v]』から6th『ENCOUNTER』、そして、キャット・グレイや13CATSが入ってからの時代7thから9th、そして、10th『METABOLISM』(01年)と流れに特徴がありますよね。
佐藤:ちょうど3枚おきに変化していますよね(笑)。自分たちの音にチャレンジが始まってそれから混沌期を迎え、そして成熟するまでに、だいたい3枚のステップがあるんですよね。それが形になった時点で次のことに興味が湧いてきてっていうのを繰り返していたら偶然3枚区切りだったんですよ。
だから1st、2nd、3rdはいわゆるAORなり、ファンク、ソウルっていう特徴がありつつ、4枚目『0[l∧v]』(91年)になってくると、もっともっとポップスの部分にいろんなジャズ、ヒップホップ、ハード・ロックの要素までが何気に絡んでくるんですよね。
それが6枚目の『ENCOUNTER』(93年)で完結するんですけど、その頃には生演奏の魅力にもっととりつかれていくんですよ。僕らって宅録の第一世代みたいなところがあるので、6枚を作り終えたらもっとそれ以上に進化していきたい、もっともっと深いものをやっていきたいと思って。音楽は生で人間が演奏して、そこから生まれるものの深さが基本になっていることをより感じるようになっていったので、この頃から、セッションを積み重ねるようになったんです。直接的に試したのが『ENCOUNTER』の1曲でLITTLE FEATのビル・ペイン※4(Key)、リー・スクラー※5(Ba)、そして沼澤尚(Dr)の3人でやった「Maybe」。そこに、僕らがスタジオにこもって頭の中から引き出して作り上げるサウンドとは明らかに違う世界観が見えたんです。そして今度はそこを追いかけ始める、それが『togetherness』(94年)なんですよ。
――なるほど、そういうつながりになってくるんですね。
佐藤:その『togetherness』では、いわゆるセッションっていうヘッド・アレンジ的なもので各ミュージシャンの個性を引き出しつつ活かしたら、そこに何が生まれるだろうか?っていうところをメインにした作品だったんですよね。そしてさらに僕らの頭の中にある打ち込み、プログレ、ハード・ロックっていう、スタジオ・ミュージシャンだけの世界じゃなくて、もっとLED ZEPPELINのような音楽が持つオーラみたいなものとポップスが持っている自由さを『DISCOVERY』(95年)で加味していきました。それが『Welcome To Another World』(97年)で完結するんです。そのアルバムの後半では、プログレチックなハードロックだったり、R&Rのコステロっぽい感じがあったりするんですよね。それが『METABOLISM』(01年)でまた……(笑)。
――なるほど(笑)! それぞれ序章があるわけですか。
佐藤:これね、意識はしてないんですけど、今思うと本当に整列されてきれ〜いに序章があるんですよね(笑)。
――でも特に僕なんかは『0[l∧v]からとても好きになって、このころからSING LIKE TALKINGを聴くようになってきたんです。特に、『togetherness』以降がすごく好きなんです。
あまりよくない言い方かもしれないんですけど、『METABOLISM』が出たときにすごく衝撃的だったんですよ。というのは、沼澤尚※6さんのドラムがSING LIKE TALKINGのイメージに強くあったんですが、『METABOLISM』でドラマーが佐藤強一※7さんに替わって……。
このアルバムの曲に関してはもちろん良いんですけど、過去の曲をプレイしたときのグルーヴの違いをすごく感じたんです。そこは竹善さんとしてはどう感じていますか?
佐藤:それはね、例えば「RISE」(11thシングル『Humanity』(92年)収録)でタカ(沼澤尚)がやっているような曲は、彼がいるときはライヴで進んでピックアップしていったんですね。
『togetherness』とか『Welcome To Another World』(97年)はほとんどタカのドラムですけど、『ENCOUNTER』までの作品の中には、逆にあのメンバーだからできなかった曲もあるんですね。例えば「Your Smile」(『0[l∧v]収録』)はJethro Tullのドラマー(ドーン・ペリー)が叩いているんですけど、そういう曲は今のメンバーだからこそやれるんですよ。
――佐藤強一さんだからこそ、過去のまた別の楽曲もできるというわけですね。
佐藤:うん。あまりにもタカたちとやっていた期間が長かったから“沼澤尚=SING LIKE TALKING”というイメージはついたと思うし。“みんながバンド”っていう意識は僕らが目指したところでもあるので、素晴らしいことでもあるんですけど、音楽的な興味がまた違うステップを踏んだ以上はね。例えば1つのメロを弾いてもらうときに、バイオリンを選ぶのかギターを選ぶのかっていうのと同じ感覚で、このグルーヴに合った人はどの人なのか、っていうことでメンバーも変わっていくんですよね。