CACOPHONY
『GO OFF!』

 

 

 

MARTY FRIEDMAN
『Dragon's Kiss』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MEGADETH
『RUST IN PEACE』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MEGADETH
『COUNTDOWN TO EXTINCTION』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MARTY FRIEDMAN
『Scenes』

 

 

 

 

MEGADETH
『YOUTHANASIA』

 

 

MARTY FRIEDMAN
『Introduction』

 

 

 

 

 

 

 

――そのころ、日本の楽器は?
MARTY:三味線とか。深くは勉強しなかったけど、1フレーズ、2フレーズをちょっと習って、自分のプレイのなかに入れられればよかった。ハマっちゃったら三味線は深すぎるから、死ぬまで弾かなきゃいけないじゃないですか(笑)。僕の作ったばかりのアルバムに三味線入ってるよ、聴いた?
――まだ聴いてないんですよ。
MARTY:ギター・ソロの代わりにホントの三味線やったよ。今、流行ってる日本人に影響されたから。
――吉田兄弟?
MARTY:うん。すごい、その人は。彼が僕の三味線のプレイ聴いたら多分怒る(笑)。普通のギターでやっているテクニックだからね。でもアメリカ人があれを聴くと、すごくリアクションが良い。
――三味線を弾いたことがないんだけど、どういう風になってるの? 
MARTY:チューニングの音はC・F・Cかな?……忘れたけど、三味線のレコードとチューニング合わせるようにした。で、自分のプレイは、右手と左手はギターを弾くときと変わらない。でも本気でプレイするのは、とても難しい。今度僕の三味線を聴かせるよ。笑っちゃうよ(笑)。
――(笑)。カコフォニーの話に戻りますが、2枚目『GO OFF!』は、どういったアルバム?
MARTY:1枚目と一緒だけど、もうちょっとソングライティングに集中した。中途半端だったけど、最初の来日をしました。すごく日本は印象残っていて。
――89年が最初?
MARTY:そうです。あれから日本に興味持ちました。みんなザワザワ僕のことについて話してたから、何を言っているのか本当に知りたいと思いました。
――それで、もっと日本語を勉強しようと。その前の年にソロ・アルバム『Dragon's Kiss』を作ったんですよね。カコフォニーをやってるのにどうして?
MARTY:頼まれたから(笑)。とにかく僕はレコードを作る機会があれば、必ず作る。スタジオに入る機会があれば、必ず入る。それに、けっこういっぱい曲があったから『Dragon's Kiss』を録音しました。
――その頃の機材はカコフォニーと一緒?
MARTY:機材って……僕らってさぁ、すっげ〜貧乏だったよ(笑)。
――貧乏(笑)。
MARTY:家賃払わないで、ガールフレンドのところに泊まったり、彼も両親のところに行ったりして。全然お金もないし、車もないし。とても基本的な機材しかなかったからエンドース契約なんか、すごい嬉しかった。弦とか買わなくていいし(笑)。ホントに助かった。機材なんか、今みたいに手当たり次第使ってた。
――特にメインで使ってたギターは?
MARTY:CARVIN(X220)。最初の1枚目はJAKSONギター持ってたよ。
――ケリー(Jackson “KELLY”)とはまた違う?
MARTY:あ、ケリーの形だった。元はケリーだったけど、JAKSONの会社が創設されたばかりのときのだから。カコフォニーの2枚目のときはちゃんとCARVINのエンドースになった。けっこういいギターよ。
――ソロ・アルバムのときは?
MARTY:僕の癖は、いつもアルバムの録音するために、人のギターを借りること(笑)。例えば、スタジオの中にみんなのギターを入れて、実際に弾いて曲に一番ふさわしいギターあったら、弾く。その時代は、僕の生徒の方がずっと良いギター持ってたから、いつもそのギターを借りました。アンプもそう。
――その頃はマーシャル?
MARTY:マーシャルも使ったし、CARVINも使ったし。
――そしてソロ・アルバムとカコフォニーのアルバムを出して、来日して。日本の印象はどうでした?
MARTY:日本の街にはびっくりした。僕らのことをそんなに知ってくれているとは思わなかった。ライヴもほとんど満員だったよ。小さいライヴ・ハウスだったけど、川崎クラブ・チッタでもやったんだけど、満員でびっくりした。遠い日本なのに、たくさん観客がいるのはホントに嬉しかったよ。みんな旗を作ってくれたり、サインを求めてくれたり……ホントに僕らはロック・スターになった感じ。それにコンサートの会場は音響も良いし、テレビにも出たし、いっぱい取材あったし、雑誌に出たし、びっくりしたよ。アメリカの超貧乏な何も食べられない暮らしだったのに(笑)。
――そうだったんだ(笑)。
MARTY:信じられなかった。ギターの音楽なのに、女の子もキャーキャー言っていてびっくりしたよ。アメリカだったら男ばかり。だから日本の印象が強いんです。
――でもカコフォニー時代はこの2枚のアルバムで一応終わり?
MARTY:そう。2枚のアルバムで日本のツアーのあと、東と西と中部とか全部アメリカ・ツアーをしました。けっこう楽しかった。そのあと僕らは貧乏すぎて“もうちょっと儲けるようなバンドを見つけようかな”とお互いに思ってた。そのあとにジェイソンはデヴィッド・リー・ロスのバンドに入ったし、僕はメガデスに入った。
――解散というか、辞めるときは二人で話し合ったんだ。
MARTY:解散したくはなかったけど、経済的に厳しくて。レコード会社も経済的に支えてくれなかったし。そうなると残念ながら解散しかない、という感じでホントに仲の良い友達なのに……。今でもみんな良い友達なんだよ。
――マーティー自身は加入前にメガデスを聴いてたの?
MARTY:聴いたことはあって、怖い系のバンドだっていうのは知ってたけど、詳しくなかった。とにかく、メジャーと知ってたので、興味があった。
――それで加入すると。90年に正式加入したときは、メガデスにおけるギター・プレイについて何か言われた?
MARTY:僕の好きなようにって。もちろん、あのリズムはけっこう変わってるよね。メガデスのリズム・ギターはけっこうおもしろい。ちょっと普通とは違うよね。ミューティングやチョーキングが僕のスタイルと全く違うから最初から習わなければならなかった。バンドの昔の曲と新しい曲を覚えなきゃいけないときに、思ったより微妙なニュアンスがあったんです。そんなに微妙なニュアンスについて、全然バンドのメンバーはあんまり意識していなかったみたいだけど、僕は集中してそのニュアンスを勉強した。僕は完璧主義者だからね。ちょっと、がっかりだったけど、でも難しくてちょっと嬉しい。僕はけっこうそういう細かいのことにこだわるから。弾けるようになったら、ライヴとレコーディングのために、頑張りました。
――速いよね〜?
MARTY:速いだけじゃなくて、変なところでチョーキングしたり、とても不自然なところにミューティングしたりしなかったり。全然意味のないと思うけど、でも意味がある。分かる? で、それにリズム・ギターならムスティンと2人で全く同じギター・パートを弾く。それおもしろいと思う。ほとんどのツイン・ギター・バンドは異なるパートをやるでしょう?でも、メガデスなら細かいところまで同じパートを弾く。メリットはライヴで大きく分かる。だから、スタジオの中で、ダブルするでしょう?右、左。パワフルでしょう。それをライヴでやればパワフル。ニュアンスまでも完璧に同じだったから、すごい大きなステレオの感じ。全然、ルーズじゃなくてタイトな感じ。僕は入ったときに、僕らは異なってるパートやろうかな、と思ってた。KISSみたいに。でも、メガデスだったら、全く同じパートをやることになっちゃったときに「メリットは何? つまらないでしょ」と思ってたんだけど、でも実際に舞台の上で同じパートを弾いてみたら、すっごいパワフルだった。
――なるほどね。
MARTY:どうしてそんな意味のないミュートなんか習わなければならないんだろう、と思ったのに、ムスティンと弾けばそのメリットはすぐ分かった、悟った。
――でもソロも弾くでしょう?
MARTY:僕? うん、けっこう。ソロは普通に自由に弾いていました。マイク・クリンク(ガンズ・アンド・ローゼズの最初の『Appetite For Destruction』をプロデュースした人で、『RUST IN PEACE』をプロデュース)をとても尊敬してる。だから彼のアドバイスはホントにほしかった。でも余り何も言ってくれなくて「それは大丈夫です」としか言わなかった。それもいいんだけど、彼が言った「曲に合ってるソロを弾いてください」「曲に歌詞を書いて、その画がみえるようなソロを弾いてください」それしか言われたことを覚えてない。曲や歌詞の雰囲気によって「それにあったソロを弾いてください。悲しいだったら、悲しい」って。抽象的なやりかたで、ちょっと成長したと思うけど、でも前とは特に変わらなかった。
――それでもメガデスと人気が爆発して、それまでとは違う生活になったんですよね。
MARTY:そうです。ラッキーだった。
――この頃のギターはケリーを使ってた?
MARTY:そうです。ずっと、ケリーだった。アンプはマーシャルとクレイト。メガデスに入ったばかりのころは、クレイトのキャビネットと、マーシャルのヘッド、VHTもあったし、ボグナーもあった。いつも機材が変わってたんだよね。機材の会社側から「長く使ってください」と言われたので、色々トライしました。僕はまったく機材にはこだわってなくて、ホントに音が良かったら「じゃあ、レッツゴー」。全然、気にしてない。
――再び来日。それが91年で、翌年にアルバムが出ましたね。
MARTY:92年は『COUNTDOWN TO EXTINCTION』
――これもまた人気がすごく高いし、有名なアルバムですよね。『RUST IN PEACE』もそうだけど、名曲と言われるものが、けっこう収められていますがマーティー自身は何か思い入れのある曲はある?
MARTY:いや別に。メガデスの曲は、余り区別ができなかった。けっこういい曲ばかりだけど、メガデスはメガデス。曲は全く同じスタイルだと思った。
――印象的なソロは?
MARTY:うーん、難しい質問(笑)。ファンからもよく聞かれるんだけど、僕はソロを弾くときはどの曲も精一杯頑張るから、この方が良いとか悪いは判断できない。いつも気合いを入れて100%頑張るから、全部一緒だと考えてる。でももちろん、ファンはファンの意見がある。ファンの意見の方が僕の意見より大切だとも思うよ。
――マーティーのソロ・プレイは、よく“オリエンタル的”だとか“エキゾチック”っていうけど、僕の印象だとそういうことよりも、チョーキングのニュアンスだったり、そのピッチ、音程、そこがすごく特徴的なんですよ。
MARTY:ありがとうございます。
――そこがマーティーのオリジナティなのかな。演歌だったり、先ほど話に出てきたハーモニーの考え方とか、そういったものが全部凝縮されて出てるのかなと思うんです。
MARTY:凝縮? いっぱい混ざっていること? “凝縮”……難しいですね、でも書いて置かなきゃいけない(←メモしている!?)。そうですか。洞察力がするどいですね。気付いたね(笑)。でもあまり多く入れすぎてもダサいじゃん(笑)。例えば、アイリッシュの音楽も勉強したけど、そのアイリッシュ漬けのような音楽はメガデスの曲の中に入れたら、ダサいじゃないですか? だから少しだけ味を入れたりした。
――だから、マーティーのソロはコピーするの難しいんだ。
MARTY:そうかもしれない。
――そう思う。速弾き云々じゃなくて、フレージングもそうだけどピッチが難しい。
MARTY:そうかなぁ。逆に僕は普通の人のプレイをコピーするとしたら、結構難しいと思う。クセがいっぱいあるからいつも僕のサウンドになっちゃう。
――そうかもしれないですね。ちょっと話は戻るけど、『COUNTDOWN TO EXTINCTION』のときは、プロデューサー誰でした?
MARTY:マックス・ノーマン。彼はけっこうギターについては厳しいね。前にラウドネスもやったし、オジー・オズボーンの1枚目と2枚目、あとランディ・ローズとか。あの人はけっこう厳しかったけど、僕は厳しいが好き。
――完璧主義だからね。
MARTY:完璧主義者。だってね、そのときは彼も完璧主義者、僕もムステインもそうだった。3人の完璧主義者の競争だった。いつも僕が「完璧」と言ったら、他の2人は「それは違う」と言うから、それが積もり積もって、最終的にはすごい完璧なアルバムになったよ。悪いところを見つけられない。
――うん、確かに。『COUNTDOWN TO EXTINCTION』は名盤だもんね。
MARTY:うん、それはメガデスの中で一番売れたアルバム。
――この頃もずっと機材は同じだった?
MARTY:そうですね。その頃は、パワーアンプがVHTだったかな。すいません、覚えてない。
――それからまたソロ・アルバムの『Scenes』を発表しますが、どうして喜多郎さんと一緒にプロデュースすることになったんですか?
MARTY:僕は喜多郎が大好きで、そのメロディーのセンスとかがすごくおもしろいと思ってた。その後に偶然彼に会いました。彼は僕のことは全然知らないのに「じゃあ、一緒にアルバム作ろう」と言ってくれたからすごい嬉しかったよ。とてもとても光栄だった。『Scenes』は僕の音楽だけど、彼の味がちょっと入っている。そしてメガデスと全く違う。すごく静かなアルバムですよねぇ。メガデスは毎晩毎晩ライヴでガンガン音楽やってたでしょ、帰ったらスタジオに入っての繰り返して、ロックじゃない音楽は作りたくなかった。だから、ソロでは逆に対照的なアルバムを作りたかったんです。僕のソロ・アルバムの中では誉められているレコードと思います(笑)。自分でもけっこう良くなったと思う。
――じゃあ、バンドとは全く逆の作品を作りたくなった感じだったんだ?
MARTY:そう。だから、メガデスのファンはびっくりした。厳しくて、僕が子供のころみたいにヘヴィじゃないとダサいと思ってた。でもね、納得してくれた人も多かった。それに、その人のお母さんとか、ガールフレンドとか気に入ってくれたみたいで、いつも「私のお母さんは、あなたのアルバムが大好きです」と言われていました(笑)。本人は嫌いかもしれないけど、お母さんが好きだと言ってくれているんだって思った(笑)。
――お母さんにウケたんだ(笑)。
MARTY:そう、ガールフレンドとか。結婚式に、そのアルバムの音楽を使ってくれた人もいるんだけど、ホントに僕は嬉しい。それからはロック以外のアルバムも作れるようになっちゃったから。
――でもね、「どれがホントのマーティーなんだろう?」って思っていた人もいると思う。
MARTY:でも、聴いてみればセンスは全く一緒でしょ。
――そして、翌年に6枚目のメガデスのアルバムがでました。
MARTY:『YOUTHANASIA』。『COUNTDOWN TO EXTINCTION』の成功の後なので、僕らはレッド・ツェッペリンのように自分たちはロック・スターだと思ってたので、すごい贅沢なアルバム作ろうとしていたんです。
――贅沢?
MARTY:さっきは完璧主義者のアルバムだったけど、このときはライヴのように、みんな同じ部屋に入って、「じゃあファースト・テイクでやりましょう。僕らはU2のようなスターだから、ファースト・テイクでいいや」って。でも、その方が『COUNTDOWN TO EXTINCTION』よりずっと楽しかった。楽だったし、みんな同じ部屋に入って演奏できた。とっても期待が多くて、結果はちょっとだけ低かったけど。でもプラチナムになった。『COUNTDOWN TO EXTINCTION』の方が売れたけど、『YOUTHANASIA』はメガデスのキャリアではメンバーが一番仲良くプレイできた。
――それが6枚目。そしてまたソロ・アルバム『Introduction』を作った。すごいですね、メガデスでアルバム出して、同じ年にまた。
MARTY:休憩はしてないよ(笑)。メガデスで1年に11ヶ月くらいツアーしたし。
――1ヶ月しか残ってないじゃない(笑)。
MARTY:そうそう、けっこう、ワークホリック。
――このソロ・アルバムもまた静かなサウンドにしたのは?
MARTY:『Scenes』のときに習ったことを、もう一度ちょっと発展させて『Scenes』より上手いアルバム作ろうとした。で、最終的に僕は満足。ファンは『Scenes』の方が好きと思うけど、僕は『Scenes』と同じくらいに満足。
――そしてまたしばらくして、94年から96年まではリリースがない。
MARTY:うん、2年間のツアーをやっていました。最高だったよ。いつも最高だった。メガデスではみんなの演奏は無意識なんだけど、けっこう完璧に近い。だから考えなくてもほかのメンバーがうまくやってくれるのでホントに安心。だからライヴは毎晩一貫性を保つようにいいものができるように頑張った。
――でもマーティーは、メガデスに入る前にはカコフォニーにいたわけだけど、メガデスに入ってからいきなり大きい会場でライヴをやったんでしょう? プレッシャーみたいなものはなかった?
MARTY:う〜ん、プレッシャーは感じなくて、ただ嬉しい。やっと大きな会場でできるから。自分で弦を交換しなくていいし(笑)。やっと世界を回れた。ほとんどの国に行ったよ。南米とか何回も。実は南米はメガデスにとってとても大事なところです。アルゼンチンとか、チリとか。
――そうなんだ。
MARTY:チリだと、今僕は1人しかいないのに、生演奏を観るために何千人は来てくれる。メガデスから脱退して2年経つのに。理由は分からないけど、メガデスはけっこう南米で売れた。
――じゃ、南米は盛り上がる?
MARTY:盛り上がってる。すごい盛り上がってる。たぶん、世界一の盛り上がりだった(笑)。
――南米のイメージだとまったく違う音楽性を持っているみたいだけどね。そうでもないんだ。
MARTY:そうですね。ラテン系は情熱的な文化でしょう? 正に僕らも汗流して、ホントに情熱的な音楽を作ることができた。フェスティバルに出てくるファイヤーガールもいるし(笑)。あとはギリシアも行って、ヨーロッパは全部行った。アジアは日本と韓国だけ。